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前回、1970年(昭和45年)に始まったテレビショッピングについてご紹介し、テレビの影響力の大きさに触れましたが、それを最も歴史に残る形で証明してしまった人物がいます。

それは米国のニクソン大統領です。
では時計の針と場所を、少し60年~70年代にかけてのアメリカ合衆国に移しましょう。

1960年の大統領選挙で、前職のアイゼンハワー政権の副大統領だったニクソン氏は、若き民主党候補ジョン・F・ケネディ氏を迎え撃ちます。

スピーチと議論の内容で圧倒的な自信を持つニクソン氏は、テレビ討論の直前に膝を怪我して顔色が優れなかったにも拘らず、テレビ用のメイクアップを拒否します。
対するケネディ氏は、服飾コンサルタントの選んだスーツを着込み、ばっちりとメイクを決めるイメージ戦略をとります。

結果、討論をラジオで聞いていた人々は、内容はニクソン側が優勢だったと判断したものの、テレビ(当時はモノクロ)を見ていた有権者たちは、痛みに耐えながら弱弱しく気難しそうに見えるニクソン氏よりも、テレビ栄えするケネディ氏に魅了され、得票差わずか0.2%という歴史的な僅差で哀れな前副大統領は涙を飲むこととなりました。

その後、米国のあらゆる選挙において、服飾や外観のコンサルタントが導入されたことは言うまでもありません。

またこの出来事は、テレビの印象がいかに人々に影響を与えるかの前例となり、テレビコマーシャル力の発展につながっていきます。

さて、枕が長くなりましたが、今回の主人公は、ニクソン氏でもケネディ氏でもなく、2人に関わりが深く、時代に翻弄されながらも米国における食生活の国家プロジェクトを指揮した、ジョージ・マクガヴァン氏について取り上げてまいります。

どうぞ最後までお付き合いください。

委員会発足の背景

JFKennedy GeorgeMcGovern
[左側がケネディ大統領、右側がマクガヴァン氏]
(提供:ウィキペディアコモンズ)

前述の通り、ニクソンを破り大統領に就任したケネディは早速、1960年「平和のための食料プログラム」の初代局長にジョージ・マクガヴァンを任命します。

その後、凶弾に倒れたケネディの後を受け継いだリンドン・ジョンソン大統領は、「貧困との闘い」を国策とし、1968年「栄養と所要量に関する上院特別委員会」の発足を指示。委員長にケネディ政権下で食糧問題に実績のあるマクガヴァン上院議員を選出します。このことから当委員会は、マクガヴァン委員会とも呼ばれています。

しかし、ベトナム戦争の泥沼化における極度の不人気のため、ジョンソン大統領は次期大統領選出馬を諦め、政界引退を表明。同年の大統領選挙では、直前の民主党大統領候補となるはずだったロバート(ボビー)・ケネディ上院議員が、兄と同じように暗殺されてしまいます。

混乱の中、急遽ケネディ候補の後を受けたハンフリー副大統領に対し、一度は涙を飲んだニクソン候補がこれまた僅差でリベンジを果たします。

余談ですが、1968年はボビー・ケネディだけでなく、公民権運動のリーダーであるキング牧師も暗殺されるという、恐怖と混沌に包まれた時代でした。翌年1969年には若者たちが自由と平和を求めて、伝説のウッドストック・フェスティバルを開催します。

さて、当初は貧困層の栄養不足、飢えを解消すべく招集されたマクガヴァン委員会でしたが、その趣旨は更なる広がりを見せていきます。
なぜならベトナム戦争の長期化による国家財政赤字の拡大が、金ドル交換停止といういわゆる「ニクソンショック(1971年)」を引き起こし、更に1973年の第4次中東戦争勃発による第1次オイルショックの影響で、多くの従業員をレイオフ(解雇)せざるを得ず、自動車業界の手厚い退職者年金の支払いのため、栄華を極めていたBIG3(GM、フォード、クライスラー)でさえ資金が枯渇してしまいます。

アメリカでは国民皆保険制度がない代わりに、退役軍人や企業年金保険は手厚く保護することでバランスをとっていますが、その資金がなくなってしまったのです。

このままでは国家財政はおろか、システム自体が立ち行かなくなることから、国民の健康は自分自身で守るという、いわゆる「小さな政府」にシフトしていきました。

マクガヴァンレポートの衝撃

このような社会背景を経て議論を重ねた委員会は、そのまとめを1977年2月『米国の食事目標(Dietary Goels for the U.S)』 (通称マクガヴァンレポート)として報告しました。

これは、アメリカ人の死因の第1位となっている心臓病や、癌などの10大死因のうちの6つの病気が食生活に大きく関連しているとして、病気にならないための6つの食生活目標が設定されました。

  1. 炭水化物の比率を(全カロリーの)55-60%に増やす。
  2. 現在40%の脂質を30%に減らす。
  3. 飽和脂肪酸を10%に減らす。多価不飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸を10%にする。
  4. コレステロールを1日300mgに減らす。
  5. 砂糖を15%に減らす。
  6. 塩分を3%に減らす。

という、明確でかなり厳しい数値目標を掲げています。

これには、当然やり玉に挙げられた畜産業界や砂糖業界をはじめとする産業界から猛反発があがります。そこで同年12月には第2版として数値目標が緩やかになった改訂版が発表されます。

そこで新たに、「肥満にならないように消費カロリー分しかエネルギーを摂取しないようにする」が目標に追加され、変更点は以下の通りとなりました。

  1. 現在28%の複合炭水化物を48%に増やす。(炭水化物全体では砂糖と合計して58%となる)
  2. 砂糖を10%に減らす。
  3. 塩分を5gに減らす。
  4. 飽和脂肪酸の摂取を減らすように肉類を選ぶ。
  5. 閉経前の女性、幼児、高齢者は卵の栄養価を考慮してコレステロールの摂取量を減らす。

このマクガヴァンレポートはその後、科学研究を通して「ヘルシーピープル」や「フードガイドピラミッド」などの食生活指針として、記念すべきモデルケースとして発展していきました。

この流れは日本にも波及していきますので、次回はそれについて取り上げます。

マクガヴァンという人物

さて、こうして歴史に名を残したマクガヴァン氏ですが、実は1972年に大統領候補としてニクソン大統領と対峙しています。

これも運命のいたずらか、本来民主党大統領候補になるはずだった、ケネディファミリーの末弟エドワード・テッド・ケネディがスキャンダルのため断念し、マクガヴァン氏に民主党候補のいすが転がり込んだのです。

前回の大統領選でボビー・ケネディーを支持し、彼が暗殺されたために立候補しましたが、ハンフリー副大統領に民主党の氏名を奪われていたので、順番が回ってきたことになります。

食料と健康問題のスペシャリストであるマクガヴァン候補でしたが、皮肉なことに副大統領候補だったイーグルトン上院議員が、以前うつ病のための電気ショック治療を受けていたという経歴が暴露され、急遽副大統領候補交代という窮地に追い込まれます。

結果、ニクソン大統領に歴史的な大敗を喫することとなりましたが、そのニクソン大統領も、この大統領選挙戦中に自身の再選委員会の不正(ウォーターゲート事件)により米国史上唯一の任期中失脚という憂き目にあってしまいました。


このように人物としては、ニクソンやケネディーファミリーのように燦然と輝くほどに人々の記憶に名を残してはいません。
しかし、国際連合食糧農業機関のアメリカ代表(1998年 – 2001年)、飢餓問題に関する国際連合大使(2001年 – 2012年)を歴任するなど、その生涯を通して世界中の子供たちの、食と健康、教育に力を注いだ政治家人生でした。

そして、前述したマクガヴァンレポートは、それ以降の世界中に栄養学、食育、サプリメント業界の隆盛に大きな影響を与える礎として燦然と輝いています。


2012年に90歳で故郷の自宅近くのホスピスで永眠されています。
(※文中敬称略)

今回のまとめ

混沌とした60年、70年代のアメリカで国家プロジェクトとしてまとめ上げたマクガヴァンレポートは、世界中に食生活指針の礎となった。

参照:
ウィキペディア【食生活指針

ウィキペディア【ジョージ・マクガヴァン

ウィキペディア【リチャード・ニクソン

国際連合食料農業機関「FAOは「世界の飢餓問題に対する精力的な唱導者」に弔意を表する


最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もお付き合いいただけると幸甚です。

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