北 英哲
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「平成」は健康食品業界の夜明けぜよ:やっぱりTVの影響はごっついねえ
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.14】元号が平成に変わった1990年代は、機能性食品を広げたい省庁と、国民の興味度が重なり合い、それに呼応して健康情報番組が増え、健康食品業界は急速な発展を遂げることとなった。
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締め付けと緩和:機能性食品への道筋
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.13】1984年(昭和59年)は、健康食品業界にとってターニングポイントとなった。厚生省(当時)の『無承認無許可医薬品の指導取締りの徹底について』通知で取り締まり強化、そして文部省(当時)で発足した「機能性食品」の特定研究は、食品の新たな概念を提示し、世界に先駆けた「保健機能食品」制度を制定するきっかけとなった
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健康ブームとグルメブーム:エンターテイメントの80年代
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.12】1970年の外食元年より、ファーストフードやファミリーレストランの出現は日本人の食生活を変えました。
80年代に入ると、料理マンガをきっかけにグルメブームが起こり、バブル景気の中、飽食の時代に突入します。 -
Made in Japan世界を席巻す:栄光の80年代への布石
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.11】70年代は日本企業の技術と卓越性でMade in Japan製品は世界を席巻していきました。その勢いの中、80年代の最初にはサプリメントとしてのエポックメイキングな商品が開発されます。
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『第1次国民健康づくり対策』始まる:国際的な健康づくりの流れ
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.10】1974年に発表されたカナダのラロンド・レポートは先進国の健康づくり対策のモデルとなり、日本も1978年に『健康日本21』の元となる『第1次国民健康づくり対策』の10カ年計画を作成し発展させていきました。
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マクガヴァンレポートの意義:迷えるアメリカ合衆国の風景
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.9】『米国の食事目標(Dietary Goels for the U.S)』 (通称マクガヴァンレポート)を指揮した、ジョージ・マクガヴァン氏は、混迷極めた時代に翻弄されながらも、米国の食料問題プロジェクトに政治人生を捧げた人物です。
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テレビ通販登場:だってテレビ見てたら欲しくなるんだもの
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.8】昭和40年代から始まったテレビ通販は、圧倒的な影響力を持って商品を流通させる媒体となっていきます。それは健康食品業界を大きく飛躍させるものでした。
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祭りのあと:そして『46通知』が通達された
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.7】ライナス・ポーリング博士のビタミンCブームは大反響を呼びますが、その後その方法を模倣した宣伝文句で高額な商品を売りつける悪質な業者も現れました。そのため、1971年(昭和46年)、通称『46通知』が厚生省(当時)より発表されます。
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ライナス・ポーリング博士とビタミンCブーム:ノーベル賞学者の数奇な運命
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.6】単独でノーベル賞を2回受賞した偉大な科学者であるライナス・ポーリング博士が唱えた『メガビタミン療法』は、1970年代に大反響と共に一大論争を引き起こしました。一般社会にサプリメントを普及させる大いなる役割を担いました。
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みんな世界一を目指した:アイデンティティを確立する道
【「健康食品」を巡る歴史の旅 Vol.5】1964年に行われた『第18回東京オリンピック』は戦後からの経済復興という象徴的な出来事であったと共に、「機能性食品」、「健康食品」という概念を国民に浸透させたターニングポイントでもありました。