年の瀬も迫ってくると、今年1年を振り返ってみたり、今年とは言わず今までのことを『あの時、こうしていれば。』とか『こう言っていれば。』など思い返したり反省したりといった気分になります。
私が京都真創に入社してもう十数年になりますが、今まで一環して企画部でクライアントの商品開発のお手伝いを担当してきました。様々なご縁を頂き、多くのお客様に出会い非常に多くの健康食品の企画開発のお手伝いをさせていただくなかで、技術的な知識や法知識多くの経験をさせていただきました。私のスキルや能力はさておき健康食品の企画開発の経験は非常に豊富であると自負しおります。
先日、愛読書である司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み返しておりましたところ非常に胸に突き刺さる一文がありました。
これを読んで、ギクリとして大いに反省の念を抱きました。
以下、『坂の上の雲』より引用
児玉は過去に何度も経験したが専門家に聞くと十中八九、
「それはできません」
という答えを受けた。彼らの思考範囲がいかに狭いかを、児玉は痛感していた。
児玉はかつて参謀本部で
「諸君は昨日の専門家であるかもしれん。しかし、明日の専門家ではない。」
と怒鳴ったことがある。
専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。
『坂の上の雲』はすばらしい名著なのですが、健康食品のOEMとは関係ないので本の内容については割愛させていただきます。
上記は、日露戦争の旅順要塞攻略戦において児玉が部下に巨大な据え置き式砲台の移動を即座に命じた時に、部下から「コンクリートで基礎を作って固まるのを待ってから、移設しないといけないので数ヶ月を要します。」と言われたのに対して「人海戦術で土台ごと砲を引きずってゆけ。」と命じたところ、やってみたら結局出来てしまった。というシーンです。
この“専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。”という一文は私とすれば胸が痛みます。私も健康食品企画のプロを自負していましたが、お客様に自信を持って申し上げるセリフが「それは出来ません」だからです。
経験を積み、多くの失敗をすれば【リスクの高いこと】【技術的に困難なこと】は、(経験したことであれば)容易に判断することができます。
ただ、「それは出来ません」のあとに必ずしも適切な対案をご提案できていたのだろうか?
出来る可能性を試したのだろうか?きちんと考察した上でのことなのか?
と考えると必ずしも「そうだ。」と言える自信がありません。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。」というビスマルクの言葉があります。
イチローは「やってみて“ダメだ”とわかったことと、はじめから“ダメだ”といわれたことは、違います。」と言っています。
天才といわれる人がこんなにも謙虚で真摯なのです。
もっと広い視野を持たなければならないと切に思います。
謙虚な気持ちで積極的に多くの人のお話を聞かせて頂き、多くの本を読んで見識を広めたいと思います。いつかは、私も司馬遼太郎の言う『明日の専門家』になりたいです!
企画部:北